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(1992)
(1992)
↑ 1990年9月小松基地に飛来した14th FSのF-16C MJ-355
(1991)
↑ 1991年9月横田基地航空祭に展示された第13戦闘機中隊の司令官指定機 F-16C/85-1495。赤いチップラインに★が3つ。パッケージ・ポッドにブラックパンサーの絵柄も入っていた。
↑ 上写真は、1991年9月に三沢で撮影した432nd FWの司令官指定機 MJ-320/87-0320。この年既に空軍の大きな組織変更で、航空団の名称から”戦術”の文字が消えて、432nd TFWも432nd FWに変わった。
↑ ↓ 入間基地の航空祭に展示されたF-16C/87-0324。白黒写真であっても尾翼が赤色か黄色かは見分けられるが、14th FSの所属である。僚機F-16C/86-0357と共に飛来したが、左翼にはパッケージ・ポッドを付けている。
三沢の訓練空域の75%は、日本海側にあるそうである。三沢の南200マイルから北海道の北端にまで広がっている広い空域だが、ほとんど海である。パイロットにとっては万一のベールアウトの際それが凍るような冬の海であれば、死に直面する事態ともなる。単発エンジンのF-16には、その為信頼できるエンジンが必要である。
↑ 1991年百里基地で展示された432nd FWのF-16C(MJ-314)
↑ 1992年6月横田基地で展示されたF-16C/MJ-487
↑ 432d FWの司令官指定機 ”MJ-330"は、1992年9月の三沢航空祭では展示機として飾られた
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三沢のF-16がA/B型の時代は、空対空訓練と低空飛行による爆撃任務が主流であったが、C/D型に換装された後は、対防空網の攻撃に主体が置かれるようになり 低空での訓練は、全体の6.5%に減少されたとある。資料に寄ると1万から2万5千フィートの航空での訓練が主流だが、比較的天候の不安定な東北地区では、有視界飛行のため どうしても低空での飛行訓練が避けられない。また原子力関連の廃棄物保管施設など飛行禁止空域も多く、民間航空路も重なっている。三沢のパイロットはそういう意味では大変なようだ。
↑ 1990年岩国基地に展示されたF-16C MJ-501/85-1569。黄色い尾翼のチップラインは14th FSを示すが、この時期何故かチップラインの前方に1つ星が書かれていた。
Wings
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1990年代に入り、432nd TFWのF-16C/Dの尾翼は、6年間使ってきたチェッカー模様から、飛行隊毎のユニットカラ―を用いたものに変わった。其のチップラインには、幾つかの星が入った機体もある。
13FS ”Panthers"
14FS ”Samurais"
↑ 1990年の厚木基地航空祭に展示されたF-16C/85-1499。この機体はこの後にミシガン州の107th FSに移管され 最後は標的機QF-16Cとなったようだ。
↑ 1990年の厚木基地航空祭に展示されたF-16C/85-1500。1988年に続き2度目の展示ではあったが、尾翼のチップは市松模様から赤いラインに書き換えられている。